自然科学との対峙

組込みソフト開発に従事していたが、分析について考えさせられる機会があった。

分析について、今考えていることをまとめたい。しばらくして振り返ると面白いかもしれない。

分析とは。

分析はまず対象を観測するところから始まる。刺激に対する過渡的な応答を見ることもある。観測したいものを定め、あるモデルに基づいてセンシングを行い、データに変換する。それをデータ処理・信号処理する。解析し、加工し、特徴量を抽出する。

データ処理技法や信号処理技法は面白いと思う。だけど、この「モデルに基づいてセンシングを行う」行為がすっかり頭から抜け落ちていた。

分析しよう。

分析するなら正しく分析したい。そして、課題に対する適切な解決策を導きたい。

モデルの正しさは分析結果の正しさを示す。正しい分析は、正しいモデルの上に成り立つ。

しかし、モデルは正しくないことがある。改善の余地のあるモデルと呼ぼう。改善の余地のあるモデルを使った分析は正しくないことがある。科学理論だってモデルなので真実ではない。こういう時はこうなる、と多くの者が納得しているだけだ。真理、すなわち真に正しいモデルは存在するのか。人類が説明できる部分はほんのわずかでしかない。正しく分析できない領域は必ず存在する。

フロンティア領域(最前線)に立ったとき、そこにモデルはない。仮説と実験を繰り返し、少しでもいいモデルを創るのが研究だとしよう。

ちなみにモデルがないまま、またはモデルの検証がなされないまま、計測・分析を試みることができる。だが、これは仮説のない実験のようなもので、事実は得られるが、結論は導けない。

観測しよう。

モデルがあってもセンシングを間違えると、分析対象を観測できない。良く分からないもので良く分からないものを調べると本当に何も分からないので、せめてセンシングの原理と特徴、性能限界は抑えておいた方がいい気がする。

こう書いていると、ただ正しい研究の進め方をまとめているようだ。